東京地方裁判所 平成6年(ワ)16762号 判決 1996年10月15日
原告
甲野太郎
同
甲野花子
右二名訴訟代理人弁護士
佐藤正八
被告
国
右代表者法務大臣
長尾立子
右指定代理人
新堀敏彦
外四名
主文
一 被告は、原告ら各自に対し、金二七八七万四六八〇円及びこれに対する平成四年八月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は第一項につき仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告ら各自に対し、金四五五七万五七五九円及びこれに対する平成四年八月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、国立北海道大学工学部大学院博士課程の学生が、助手とともに大学構内の低温実験室内にある準備室で低酸素血症により死亡したのは、右助手及び指導教授の過失によるものであるとして、右学生の両親である原告らが、被告に対し、国家賠償法一条に基づき損害賠償を求めたものである。
二 争いのない事実等
1 当事者
(一) 原告らは、亡甲野一郎(以下「一郎」という。)の父母であり、被告は、国立北海道大学(以下「北大」という。)を設置し管理するものである。
(二) 一郎は、平成四年四月一日、北大大学院工学研究科博士後期課程に進学し、後記本件事故当時、右大学院工学研究科応用物理学専攻博士後期課程の学生であり、同大工学部応用物性学第一講座(以下「第一講座」という。)に所属していた。
2 第一講座の職員講成は、訴外A教授(以下「A教授」という。)及び訴外B助手(以下「B」という。)の二名であり(当時助教授は空席となっていた。)、右講座には、一郎を含む大学院博士後期課程学生三名、修士課程学生八名及び学部四年卒業論文学生四名が所属していたが、A教授は、後記本件低温室を含む北大工学部応用物理学科棟(G棟)一階一五二室(第一講座低温実験室。以下「G一五二室」という。)の安全管理者であり、Bはその補助管理者であり、A教授はBを指導監督すべき地位にあった。
3 G一五二室について
(一) 後記本件事故当時、G一五二室は、G棟一階にある低温実験室であり、別紙に示すように、ほぼ中央にある低温室の内部は本室となる低温室と前室となる準備室とに分かれており、本室は、床面積(内法)約二〇平方メートル、容積約五四立方メートルであり、準備室は、床面積(内法)約六平方メートル、容積約一七立法メートルであった(以下、本室と前室を総称して「本件低温室」といい、本室部分を「本室」、前室部分を「準備室」という。)。また、床、壁及び天井は、鉄筋コンクリート造で、コルクの断熱層の上に床はフローリング、壁及び天井は合板を内装材とし、本室・準備室間、準備室・G一五二室間の出入口には、それぞれオーバーラップ断熱扉が設けられていた。これらの扉は外開きの扉であり、閉じ込め防止のため、鍵は設けられておらず、内側のドアノブは棒状の特殊なもので、このノブを通常の力で押せば容易に開けられる構造になっていた。本室と準備室には、いずれも天井に冷却管が配置されており、別室の冷凍機械室に設置されている冷凍機からの冷媒(フレオンガス)の循環によって冷却されていた。それぞれの室温は、床上1.8メートルの高さに設けられた温度センサーで検知され、サーモスタットによる冷却管バルブの自動制御で設定値に保たれており、第一講座では、特別の場合を除き、本室をマイナス二〇度、準備室をマイナス一〇度に設定してあり、本件低温室の温度は、室外の打点温度記録計に記録されるようになっていた。また、準備室内には、窓や換気扇の設備はなく、大小あわせて五つの机が置かれており、それらの机の上下に、氷試料作成に使用される小型顕微鏡、クリスタルカッタ、電気スタンド、バンドソー、小型コンプレッサ等が配置されていた。また、公称容量二五リットルのデュワー瓶(魔法瓶構造で内槽及び外槽が金属製の運搬及び貯蔵容器、以下「二五リットルデュワー瓶」という。)二本、公称容量五リットルのデュワー瓶一本が床上に置かれていた(甲四及び二〇)。
なお、冷凍機に供給される冷却水には、井水(工学部内の井戸から供給される水)、市水道水及びクーリングタワー水(補給水は井水)の三系統があるが、通常、夏期にはクーリングタワー水、冬期には井水が用いられており、夏期、冬期ともに井水断水の場合には、市水道水が利用されていた。
(二) 本件低温室の使用状況
本件事故当時、本件低温室は、主として実験試料の作成と保管に使用されており、準備室は、実験準備のために使用され、機材が保管されていた。また、本室で行う試料作成作業の一部は準備室でも行われていた(準備室は温度が高く作業が容易であるが、反面、試料が変質しやすいという特徴がある。)。本件低温室については、教授の指導のもとに研究内容が決定された者は、その研究内容に応じて使用することが許されており、通常の実験室を使用する場合と同様に、使用するつど管理者の許可を受ける必要はなかった。いつ、誰が本件低温室を使用するかは、研究者(教授、助教授、助手、大学院生及び学部学生)が自主的に調整していた。また、本件低温室内部で、何を、どうするのか、何を使用するのか、何人で、何時間使用するのかという実験の内容、手順及び段取り等は、使用者が、自ら決めていた(乙二一及び証人A)。
4 平成四年八月八日(土曜日)午前九時ころ、井水が断水し、その後、午前一〇時三〇分ころに冷凍機が故障したため、本件低温室の冷却機能が停止した。Bは修理業者に連絡し、右修理業者が到着したが、器材不足のため同月一〇日(月曜日)に改めて修理をすることになった。右冷凍機故障のため本件低温室の温度は上昇を続けた。なお、同月八日午前九時三〇分ころの準備室の温度は約マイナス0.5度と記録されている。
5 一郎は、平成四年八月一〇日(月曜日)午前一一時ころ、準備室内において、Bとともに死亡しているところを発見された。右両名の死因は、低酸素血症であった(以下「本件事故」という。)。
6 北大における一郎の研究内容について
(一) 北大大学院工学研究科応用物理学専攻博士後期課程への進学までの経緯
A教授は、平成三年一二月ころ、第一講座出身で、研究面で以前から面識のあった国立富山大学(以下「富山大学」という。)理学部地球科学科の庄子仁助教授(現北見工業大学教授)から、同助教授が指導している右大学大学院理学研究科地球科学専攻修士課程二年の一郎が北大大学院工学研究科応用物理学専攻博士後期課程への進学を希望しているので、受け入れて欲しい旨の依頼を受け、一郎に対し、富山大学大学院の修士課程における修士論文の研究内容について予め報告するよう求め、平成四年二月末ころ、その報告を受けた。一郎は同年三月五日、応用物理学専攻の修士論文の試問を受けて合格し、同年四月一日付けで、北大大学院工学研究科応用物理学専攻博士後期課程へ進学した。
(二) 北大における一郎の研究状況
一郎は、平成四年四月一日に北大大学院に進学し、A教授から、博士後期課程における研究課題を「極地氷床コアの交流電気伝導度測定」とするように提示され、これに合意し、北大大学院における研究活動を開始した。それとともに、一郎は、A教授から、富山大学大学院の修士課程における研究を取りまとめ、早急に論文として提出するよう指示されたので、前記庄子助教授の了解のもと、富山大学において研究の整理と取りまとめを行った。なお、この修士論文は、一郎の死後、庄子助教授が手直しをし、その結果が論文として発表された。A教授は、同年五月二〇日ころ、一郎がグリーンランド氷河調査への参加を希望していることを聞きおよび、一郎の意思を確認の上、同人のグリーンランド行きを認めた。一郎は、同月下旬ころ、札幌を出発し、グリーンランド調査隊に参加(同月二八日から七月四日まで)し、七月中旬、札幌に戻った。一郎の研究テーマである「極地氷床コアの交流電気伝導度測定」とは、一〇メガヘルツ以下の交流を氷に印加すると、氷の中に含まれる酸によって電気伝導度が変わってくるという方法を用いて、南極やグリーンランド氷床から採取された氷床コア中の酸の分布を明らかにすることを目的とする研究である。氷は過去の大気中に含まれていた酸を不純物として閉じこめているため、この研究から地球環境汚染物質である酸の過去の大気中の量を推定でき、地球の気候・環境学の発展に寄与できるものとA教授は期待していた。そして、一郎の右研究における実験及び測定は、G棟一階にある高エネルギー超強力エックス線回折室内の低温室で実施し、その試料の作成は、準備室で行うとされていた。
三 争点
本件の争点は、(一)本件事故の発生原因、(二)右事故発生につきBに過失があったか否か、(三)右事故発生につきA教授に過失(原告ら主張の過失の前提となる安全配慮義務違反)があったか否か、(四)原告らの損害額、(五)過失相殺の当否及びその割合である。
右争点についての当事者の主張は以下のとおりである。
(原告の主張)
1 本件事故の発生原因
本件低温室は、G一五二室内の別室の冷凍機械室に設置されている冷凍機からの冷媒の循環によって冷却されていたが、平成四年八月八日午前一〇時三〇分ころ、右冷凍機が故障し、その修理が同月一〇日ということになったため、本件低温室の温度は上昇を続けた。
そこで、Bは、右室温の上昇を防ぐため、同月八日午後零時三〇分ころ、準備室に、液化窒素約一〇数リットルを流下させた(これにより準備室の温度は約一度低下した。)。また、Bは、同月一〇日午前九時前に、同様に液化窒素約四〇リットルを流下させ、さらに、午前九時三〇分すぎころ、一郎ともに液化窒素約四〇リットルを流下させ、そのころ、B及び一郎は、準備室において、多量の液化窒素を急速に気化させたことによって酸素濃度の低下した空気を吸引したことによる低酸素血症により死亡した。
2 被告の責任
(一) Bの過失
(1) Bは、本件事故当日、冷凍機の故障による本件低温室の室温の上昇を防止する職務につき、右低温室内の温度上昇を阻止するため、密閉性の高い準備室において、空気中の酸素濃度の著しい低下を招くおそれのある液化窒素の急速な気化作業に従事し、本件事故当日の午前九時前ころには、一人で約四〇リットルの液化窒素を気化させて、準備室内の酸素濃度を低下させていた。その後、Bは、二度目の液化窒素の気化作業時から一郎を補助者として使用した。
(2) Bと一郎は、助手と大学院生という関係、Bが一郎より年齢が上であること、北大在学期間の長短などから、第一講座内において、明らかに上下関係にあり、一郎はBから頼まれれば従わざるを得なかったのである。
(3) したがって、右(2)のような場合、Bは、一郎の生命及び身体の安全を確保すべき注意義務を負うが、同人は、右注意義務を怠り、準備室内において、漫然と二度目の液化窒素約四〇リットルを急速に気化させたため、本件事故を発生させた。
(二) A教授の過失
(1) A教授は、第一講座の責任者として、同講座の唯一の部下であったBを指導監督すべき地位にあり、また、学生の生命及ぶ身体についても、被告の履行補助者として、安全配慮義務を負う立場にあるところ、以下のとおり、右義務に違反した。なお、原告らは、A教授の右安全配慮義務は、国家賠償法一条の国家公務員の過失の前提となる注意義務であると主張するものである。
① 本件低温室は、入り口に「使用中」との赤ランプの標識がなく、また、非常警報ブザーもない。
② 一郎を死に至らしめた、短時間における二度の液化窒素の大量気化作業をするようなBを実質的監守者として選任している。
③ G一五二室の監守者及び安全管理の責任者はA教授であったが、A教授は、その自覚が薄く、本件低温室への出入り等について大学院生への指導を周知徹底させたということもなく、本件事故当日においても、本件低温室の室温の上昇防止措置について、Bのするままに任せ、学生の安全配慮のための指導監督を何らしなかったばかりでなく、第一講座であらかじめ定められていた本件低温室使用上の安全管理事項、すなわち、本件低温室入室時に研究室の行き先表示板に入室を表示させたり、研究室に一名以上の在室者をおいたりするなどの学生の生命及び身体の安全配慮義務を怠り、本件事故を発生させた。
(三) A教授及びBは、本件事故当時、いずれも国家公務員であったから、被告は国家賠償法一条一項により、一郎及び原告らの被った損害を賠償すべき責任がある。
3 損害
(主位的主張)
(一) 逸失利益 七二七八万一五一八円
一郎は、昭和四一年一月五日に出生し、本件事故当時二四歳で北大大学院工学研究科博士課程一年生であったが、その前の富山大学大学院理学研究科修士課程に在学中、国立極地研究所研修生となり、また、ニューヨーク州立大学バッファロー校アイスコア研究所へ二回交換生として留学し、その間、日本雪氷学会などにおいて四つの論文を発表するなどし、さらに、北大在学中に、国立極地研究所の要請によりグリーンランド氷河調査日本隊の一員としてグリーンランドに出向き調査研究に従事するなど、極めて優秀な学生であり、北大大学院博士課程に進学したのも、学者となる決意からであった。したがって、一郎は、右業績及びその専門からして、右博士課程を終了する約三年後の平成七年四月には、国立大学における学者となることが確実であったというべきである。したがって、一郎が二七歳から六七歳まで国立大学の研究職として勤務したものと仮定することに十分な合理性がある。
しかして、一郎の逸失利益は、平成七年四月一日現在の国家公務員教育職俸給表(一)の平均給与月額、期末手当及び勤勉手当の支給月数を基礎として次のように算出される。
(1) 平均給与月額五〇万二八四九円
内訳①俸給月額 四二万一四三一円
②俸給の調整額一万八一二二円
③調整手当等 二万〇九五三円
④扶養手当 一万六二一五円
⑤その他 二万六一二八円
(2) 期末手当の支給月額 4.0月
(1)の平均給与額のうち①ないし④を対象とする。
小計 四七万六七二一円
(3) 勤勉手当の支給月額 1.2月
(1)の平均給与額のうち①ないし③を対象とする。
小計 四六万〇五〇六円
(4) 年収額の計算
①給与
五〇万二八四九円×一二月=六〇三万四一八八円
②期末手当
47万6721円×4.0=190万6884円
③勤勉手当
46万0506円×1.2月=55万2607円
④合計(①ないし③の合計) 八四九万三六七九円
(5) 二七歳から六七歳までの四〇年間のライプニッツ係数
17.1590
(6) 生活費控除 五〇パーセント
(7) 逸失利益の計算
849万3679円×17.1590×0.5=7287万1518円
(8) 一郎の相続人は両親である原告らのみであり、原告ら各自は法定相続分二分の一の割合で一郎の権利を相続した。
(二) 葬儀費用 一六〇万円
原告ら各自は、右金額の二分の一である八〇万円を負担した。
(三) 諸雑費 四〇万円
原告ら各自は、右金額の二分の一である二〇万円を負担した。
(四) 慰謝料 合計一八〇〇万円
原告らは、最も将来を期待していた長男一郎の死亡により、悲嘆にくれ、また、将来の生活設計の変更を余儀なくされ、著しい精神的苦痛を味わっている。被告がこれを慰謝するには、原告ら各自に対し、九〇〇万円を支払うのが相当である。
(五) 小計(以上(一)ないし(四)の合計) 九二八七万一五一八円
(六) 損益相殺 一〇〇〇万円
北大工学部教授会よりの弔慰金一〇〇〇万円を損益相殺する。
(七) 差引額((五)から(六)を控除)八二八七万一五一八円
(八) 弁護士費用 八二八万円
原告らは、被告が原告らに対し何ら損害賠償をしないので、やむなく本訴原告ら訴訟代理人に、示談及び本件訴訟追行を委任し、東京弁護士会報酬会規に基づく報酬を支払うことを約しており、被告が負担すべき弁護士費用は八二八万円が相当である。そして、原告ら各自は、右代理人弁護士に対し、右金額の二分の一の額の支払いを約した。
(九) 以上合計 九一一五万一五一八円
よって、原告ら各自の損害額は四五五七万五七五九円である。
(予備的主張)
一郎は研究者になる可能性もあったので、予備的に、以下の内容の国家公務員研究職俸給表による逸失利益の主張をする。
(一) 逸失利益 六五七七万四三一六円
前記主位的請求(一)の一郎の経歴等からすれば、本件事故から約三年後の平成七年四月には、国立研究所における研究者となることが確実であったというべきである。したがって、一郎が二七歳から六七歳まで国立研究所における研究者として勤務したものと仮定することに十分な合理性がある。
しかして、一郎の逸失利益は、平成七年四月一日現在の国家公務員研究職俸給表の平均給与月額、期末手当及び勤勉手当の支給月数を基礎として次のように算出される。
(1) 平均給与月額四五万一一四三円
内訳①俸給月額 三八万四三一七円
②俸給の調整額 二〇三円
③調整手当等 三万六八四三円
④扶養手当 一万五四一二円
⑤その他 一万四三六八円
(2) 期末手当の支給月額 4.0月
(1)の平均給与額のうち①ないし④を対象とする。
小計 四三万六七七五円
(3) 勤勉手当の支給月額 1.2月
(1)の平均給与額のうち①ないし③を対象とする。
小計 四二万一三六三円
(4) 年収額の計算
①給与
四五万一一四三円×一二月=五四一万三七一六円
②期末手当
43万6775円×4.0月=174万7100円
③勤勉手当
42万1363円×1.2月=50万5635円
④合計(①ないし③の合計) 七六六万六四五一円
(5) 二七歳から六七歳までの四〇年間のライプニッツ係数
17.1590
(6) 生活費控除 五〇パーセント
(7) 逸失利益の計算
766万6451円×17.1590×0.5=6577万4316円
(8) 一郎の相続人は両親である原告らのみであり、原告ら各自は法定相続分二分の一の割合で一郎の権利を相続した。
(二) 葬儀費用、諸雑費及び慰謝料 前記主位的主張の(二)ないし(四)と同じ。
(三) 小計(以上(一)及び(二)の合計)
八五七七万四三一六円
(四) 損益相殺 前記主位的主張(六)と同じ。
(五) 差引額((三)から(四)を控除)
七五七七万四三一六円
(六) 弁護士費用 七五八万円
被告が負担すべき弁護士費用は、七五八万円が相当である。原告ら各自は、その二分の一の額である三七九万円の支払を約した。
(七) 以上合計 八三三五万四三一六円
よって、原告ら各自の損害額は四一六七万七一五八円となる。
4 被告の過失相殺の主張についての反論
以下に述べるとおり、一郎には本件事故発生についての過失は存せず、仮に、いくらかの不注意があったとしても、以下(一)ないし(四)の事情からすれば、被告から原告に対し一郎の不注意を理由に過失相殺を主張することを正当化することはできない。ことに、本来被告が大学院生を危険から保護すべき義務を有する立場にあることに鑑みると、被告が、被告の職員ではなく単にBの公務を善意で手助けしていたにすぎない一郎の過失を問い、過失相殺を主張することは信義に反する。
(一) 一郎の予見可能性の不存在
一般に、液化窒素を流下することが直ちに生命への危険を与えることにはならず、右危険の有無は、液化窒素を流下させる量及びその場所の密閉度との兼ね合いによるが、一郎は、液化窒素を本件事故のような状況で流下させた経験がなく、また、本件事故の二、三日前から第一講座内では、冷却装置が故障した場合には液化窒素を流下させて本件低温室を冷やせばよいという会話が交わされていたのであって、一郎には、準備室内で液化窒素を流下させることによって生命への危険が生じ得ることを予見できなかった。一郎にとって、液化窒素を本件低温室で大量に床に流下させることは、Bの経験に基づいた指導があって初めてできたことである。
(二) 公務遂行との関係
公務員であるBは、同人が公務遂行中の事故により損害を被った場合には、自己に軽過失があっても補償額が減ぜられることはなく(国家公務員補償法一四条)、また、同人が公務遂行中に第三者に損害を与えた場合には、自ら第三者に賠償する責任はなく、自己に軽過失がある場合でも国から求償を受けることはない(国家賠償法一条二項)とされるなどの保護を受けているのであるから、同人の指示で公務遂行に従事していた一郎に対しても公務員に準じた扱いをするのが公平であり、大学院生の実態に即した扱いといえる。
(三) Bと一郎との上下関係
Bと一郎は、研究分野が異なるとはいえ、第一講座においては明らかに上下関係にあった。このことは、助手と大学院生という関係、年齢の上下、北大での経験の長短などから明らかであり、一郎は、Bから頼まれれば従わざるを得なかったのである。
(四) 北大の大学院生に対する安全管理体制が不十分であったこと
北大では、本件事故前、学科全体として学生や教職員に組織的に安全管理のための教育や指導は行われていなかった。また、本件低温室を含むG一五二室の安全管理者及び監守者は、A教授であったが、A教授は、その自覚が薄く、本件低温室への出入り等について大学院生への指導を周知徹底させたということもなかった。そして、冷凍機の故障についても、本件事故発生まで知らなかった。もし、本件低温室入室のマニュアルが、本件事故時にも守られていたなら、本件事故は発生しなかったのである。一郎ら大学院生に対する安全管理体制は、不十分であったといわざるを得ない。
5 よって、原告ら各自は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、四五五七万五七五九円(予備的主張として四一六七万七一五八円)及びこれに対する本件事故発生日である平成四年八月一〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。
(被告の主張)
1 本件事故の発生原因について
B及び一郎が、低酸素血症を原因として死亡したことは事実であるが、その原因とB及び一郎との関与については、未だ解明されておらず、結局本件事故の発生原因は立証されていない。
2 Bの過失について
Bは、以下のとおり、助手の法的地位及びその業務内容・研究面のいずれからしても、一郎を指揮監督すべき立場になかったから、Bが一郎を指揮監督すべき立場にあることを前提とした原告の主張は失当である。
(一) 助手の法的地位
助手は、教授及び助教授の職務を助ける職務に従事する(学校教育法五八条七項)ほか、自らも独立した研究者として研究に従事し、その成果を発表するとともに、講座を担当する責任者である教授(大学設置基準九条二項)から指示又は委任された職務の遂行に関し、その権限と責任を有するが、管理責任は教授にある。したがって、助手は、法的には、大学院生を指揮監督すべき立場にはない。
(二) Bの北大における業務
(1) Bの業務は、①本件におけるG一五二室等の実験室の日常の維持管理を行うこと、②学部三年目の学生の実験の指導をすること、③研究室で毎週定期的に行う雑誌会及びゼミの指導的役割を果たすこと、④修士課程二年秋山和弘及び同一年高橋秀樹の研究指導をすること(研究内容は、いずれもBの研究テーマである「エックス線を用いた氷の微視的構造及びその変化)と関係するものである。)などであるから、一郎を指導監督すべきことは、Bの業務外のことがらである。
なお、助手は、教授の職務を助けるという意味で、大学院生や学生への研究上の助言指導をするが、学生を監督する立場にはない。Bも、日常、これらの者に対する助言を行っていたが、学部学生、大学院修士課程学生及び同博士後期課程学生の間では、学力・知識・経験のレベルに大きな差が認められること、助手も、学位を取得し研究者として自立している者と、学位取得前の者とでは学力等に大きな差があることから、大学院生と助手との関係は一律には論じられない。
(2) 第一講座では、大学院生である一郎には本件低温室の維持管理の役割を分担させていなかったのであるから、Bと一郎とは、本件低温室の維持管理の面においても上下関係には立っていなかった。
(3) Bと一郎は、研究面においては、若手研究者相互の協力ないし競合の関係にあったものであり、Bが一郎を指導する立場にはなく、実際に指導はしていなかった。
3 A教授の過失について
A教授は、学生の生命、身体についての安全配慮義務を尽くしており、原告主張の安全配慮義務違反の事実はない。
仮に、被告が大学院生である一郎に対して安全配慮義務を負うとし、その内容を、「国が、公務員に対し、国が公務遂行のため設置すべき場所・施設もしくは器具等の設置管理又は公務員がもしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務」(最高裁判所昭和五八年五月二七日第二小法廷判決)とすると、問題となるのは、被告において、①本件低温室の環境を十全ならしめて準備室自体から生ずべき危険を防止したか、②本件低温室の管理者又は使用者として、その任に適する技能を有する者を選任していたか、③本件低温室を使用する上で特に必要な安全上の注意を与えて本件低温室の使用から生ずる危険を防止したかであるが、以下のとおり、液化窒素使用上の安全管理状況及び本件低温室の安全管理状況等からすれば、本件事故当時、被告は、右①ないし③の要件を満たしていた。
(一) 液化窒素使用上の安全管理状況について
被告は、①液化窒素供給所、デュワー瓶及び本件低温室の環境を十全ならしめて、液化窒素自体から生ずべき危険を防止し、②液化窒素の管理者又は使用者として、その任に適する技能を有する者を選任し、かつ、③液化窒素を使用する上で特に必要な安全上の注意を与えて液化窒素の使用から生ずる危険を防止していたものであり、液化窒素に係る被告のなすべき安全管理は、以上をもって十分であるというべきであり、それ以上に、本件低温室で液化窒素が撒かれることがあり得るなどということは、被告にとって、予見不可能であった。
(二) 本件低温室の概要及びその安全管理体制について
(1) 本件事故当時、本件低温室は、本室と準備室に分かれており、準備室入り口には、スタイロフォーム(発泡スチロール)をベニア板で覆った断熱扉が設けられていたが、これはそれほど重くなく、閉じ込め防止のため鍵は設けられておらず、かつ、内側に設けられたドアノブを平均3.375キログラムの力で単に押せば開く構造となっていた。また、準備室の入り口扉には、この扉を開ける度に吹鳴する扉開閉ブザーが設置されており、G一〇一室においてこの吹鳴状況を確認できた。したがって、準備室は、一旦閉じ込められると脱出不能になるというような構造上危険な設備ではなく、容易に脱出できるものであった。
(2) G一五二室の安全管理の状況
本件事故当時、第一講座では、本件低温室の使用について、①右低温室入室時には、研究室の行き先表示板に入室を表示する、②右低温室の使用は、隣接の研究室(G一〇一室)に一名以上の者が残るときに限ることとし、研究室単独在室時の右低温室使用を禁ずる、③前記研究室在室者は、右低温室準備室の入り口扉に設置してある扉開閉ブザーにより右低温室使用者の出入りを確認する、④ドライアイスの右低温室持ち込みを禁ずる(氷床コア資料送達時の収納箱に同封されてくるドライアイスは直ちに戸外に廃棄する。)、⑤緊急時には、本室内に設置してある電話で外部連絡を取るなどの安全管理事項を定め、教職員学生に遵守させてきた。また、初めて本件低温室に入る者に対する安全指導については、助手が指導する学部三年目の学生の実験の場合は、助手が直接指導し、その他の学部学生・大学院学生については助手が、場合によっては教授・助教授も指示を与えてきた。一郎に対しては、同人が平成四年四月、研究テーマを決め、A教授が本件低温室を案内した際、右①ないし⑤の注意事項を説明した。
なお、換気については、本件低温室の構造上、通常の取扱いでは酸素欠乏が問題となる蓋然性がないので、特にこの点についての安全管理には対応していなかった。現に本件低温室内で液化窒素を使った実験は行われておらず、本件低温室外で多量の液化窒素を使用する実験を行う場合には、教職員が指示し、窓や扉を開けさせていた。
(3) 本件低温室における研究について
教授の指導のもとに研究内容が決定された者は、その研究内容に応じて本件低温室を使用することを許されており、通常の実験室を使用する場合と同様に、使用するつど管理者の許可を受ける必要はなく、いつ、誰が右低温室を使用するかは、研究者(教授、助教授、助手、大学院生及び学部学生)が自主的に調整し、また、右低温室の使用時間、低温室内部での実験の内容、手順等は、使用者が自主的に決めていた。これは、大学の自治の観点からすれば当然ともいえることであって、右低温室を使用する第一講座の構成員は、指導教授から、自己の生命及び身体についての安全配慮を受ける立場にとどまるものではなく、一定の範囲内においては、自己の判断と責任において同低温室を使用して所定の研究を実施しているのである。したがって、同講座の各構成員の生命及び身体の安全を配慮すべき義務は、被告と構成員が重畳的に負担しているというべきである。
(三) 以上によると、被告は、①たしかに、準備室には、酸欠の危険がないわけではないが、一旦入室すると脱出が困難になるような構造ではなく、むしろ、閉じ込め防止の策が講ぜられている。したがって、準備室の構造に照らすと、被告は、準備室の環境を十全ならしめることにより、閉じ込めによる酸欠状態発生という同準備室自体から生ずべき危険を防止していた、②北大は、同低温準備室の管理者又は使用者として、Bというその任に適する技能を有する者を選任していた、③北大及び第一講座は、右準備室を使用する者に対し使用上特に必要な安全上の注意を与えて右準備室の使用から生ずる危険を防止していたというべきである。
なお、仮に、原告の主張するように、Bが準備室内において、液化窒素を大量に流下させてこれを急激かつ急速に気化させたとしても、それは、Bが当然に負うべき義務に対する違反行為にあたるというべきであり、そのような義務違反があっても、被告の安全配慮義務違反があったというものとすることはできないというべきである。
したがって、A教授は、学生の生命及び身体についての安全配慮義務を尽くしており、被告の安全配慮義務違反の事実はない。
4 損害について
(一) 逸失利益について
一般に、大学院修了者における教育職俸給表(一)適用職への就職率が低下傾向にあること、また、北大大学院工学研究科博士後期課程修了者の過去二〇年における教育職俸給表(一)適用職への就職率は平均二〇パーセント弱に過ぎず、今後低下が見込まれること、第一講座の場合、他の学問分野に比べ、地域的特性等の特殊性があり、全国的に見てもその専門分野の研究者を擁する大学や研究機関が極めて少なく、一郎が博士後期課程を修了したとしても、同講座の助手に採用される可能性は極めて低く、また、他の国立大学の助手に採用される可能性についても同様であること等からすると、一郎が大学院博士後期課程修了後に国立大学の教官として採用される蓋然性は極めて低く、また、国家公務員研究職俸給表の適用される国立研究所の研究員等に就職する蓋然性も低かったのであるから、逸失利益の算定基準として教育職俸給表(一)や国家公務員研究職俸給表を適用することに合理性はない。本件で、逸失利益算出基準を強いて求めるのであれば、一郎の死亡した平成四年度の賃金センサス産業計・企業規模計・男子労働者旧大・新大卒の平均年収額によるのが最も妥当である。
(二) その他の損害について
(1) 葬儀費用
葬儀費用については、財団法人日本弁護士連合会交通事故相談センター発行「交通事故損害額算定基準」によれば、葬祭費は、一〇〇万円ないし一三〇万円が基準であるところ、本件において、これを不相当とする事情は見あたらないから、右程度の金額が相当である。
(2) 諸雑費
原告主張の四〇万円については、その内訳が不明である。
(3) 弁護士費用
本件事案に鑑みると、原告主張の八四〇万は不相当である。
5 過失相殺
一郎は、本件低温室内で液化窒素を気化させることの危険性を十分に認識していた。すなわち、一郎は、本件低温室と同種の低温室の備えられた富山大学雪氷学講座の学部及び修士課程時代に、低温室使用上の注意を受け、その低温室を使用して多数回実験等を行い、その使用について習熟していた。また、富山大学雪氷学講座では、低温室の使用に際しては、使用上の注意事項を記載したパンフレットのコピーを渡して安全等の確認を行い、初めて低温室を使用する者に対しては、個々に説明をしており、さらに、低温室内へのドライアイスの持ち込みを禁止するほか、低温室内での液化窒素を使用した実験を行わなかった。さらに、一郎は、北大入学後、A教授からドライアイスの持ち込み禁止を含む本件低温室の使用上の注意事項について、実地に説明を受けてもいる。
以上からすれば、一郎は、準備室内において、漫然と液化窒素を二度にわたり多量かつ急激に気化させることにより、自らが酸欠死する可能性が極めて高いことを十分認識していたものであって、同人に過失が存在することは明らかであるから、本件においては、過失相殺がなされるべきである。
第三 争点に対する判断
一 第一講座及び当事者等について
前記第二の二の事実に証拠(甲一、四、乙一、一七、二一及び弁論の全趣旨)を総合すると以下の事実が認められる。
1 第一講座の研究主題は、氷の結晶を対象として、原子・分子レベルのミクロな構造と物性の解明、南極氷・大陸氷を対象とする巨大氷体動力学、気体分子が高圧下で氷中に作る空気包摂水和物の分析などである。A教授は第一講座の責任者として、Bを指導監督すべき地位にあり、一郎の研究教育上の指導教官でもあり、第一講座における各研究の総括指導を行っており、また、G一五二室の安全管理者及び監守者であった。
2 Bは、昭和三八年六月一七日生まれで、昭和六一年三月に国立名古屋大学工学部応用物理学科を卒業し、昭和六三年三月に北大大学院工学研究科応用物理学専攻修士課程修了後、同年四月から第一講座等六講座を擁する右学科の助手をしていた。Bは、助手として教授及び助教授の職務を助ける職務に従事する(学校教育法五八条七項)ほか、自らも独立した研究者として研究に従事し、また、講座を担当する責任者である教授から指示又は委任された職務の遂行に関し、その権限と責任を有するが、同人の第一講座における業務は、A教授の補助管理者等としてのG一五二室内の本件低温室を含む実験室の日常の維持管理、学部三年目学生の実験の指導、研究室で毎週定期的に行う雑誌会及びゼミの指導等であった。第一講座における同人の研究テーマは、エックス線を利用した氷結晶の表面構造・電子密度分布であり、その研究目的及び研究方法は、一郎の研究テーマのそれとは異なっており、研究課題も重なっていないため、一郎がBから指導を受けるということはなかった。
3 一郎は、昭和四三年一月五日生まれで、平成二年三月に国立富山大学を卒業後、同年四月に富山大学大学院へ進学し、右大学院理学研究科において地球科学を専攻し、平成四年四月に、北大大学院工学研究科応用物理学専攻博士後期課程に進学し、第一講座に所属した。一郎の第一講座における研究テーマは、極地氷床コアの電気伝導度測定であり、これについてはA教授と担当することになっており、G棟一階の高エネルギー超強力エックス線回折室内の低温室において実験と測定の実施を、準備室において試料(氷)の作成を行う予定となっていた。しかし、一郎は、北大大学院進学後、右研究と富山大学大学院の修士課程における研究をまとめて論文として提出する作業とを並行して行っており、また、同年五月二八日から七月四日にかけて、国立極地研究所の雪氷気象共同研究グループによるグリーンランド氷河調査に参加するなどしていたため、第一講座での研究については、七月中旬から、右高エネルギー超強力エックス線回折室内の低温室で測定機器のチェックなどの研究準備を開始したという状況であった。
二 本件低温室の設備等について
本件事故当時の本件低温室の設備は、前記第二の二3のとおりであり、証拠(甲四、一九、乙二〇、二一及び検証の結果)によると以下の事実が認められる。
1 本件事故当時、第一講座では、本件低温室使用上の注意事項として、①右低温室入室時には、研究室の行き先表示板に入室を表示する。②右低温室の使用は、隣室の研究室(G一〇一室)に残留者が在室するときに限る、③研究室在室者は、準備室入り口扉に設置してある開扉ブザーにより本件低温室使用者の入退室を確認する、④緊急時には、本室内に設置してある電話で外部と連絡する、⑤ドライアイスの本件低温室への持ち込みを禁止する(氷試料送達時に同封されてくるドライアイスは直ちに屋外に廃棄する。)などの五項目が定められており、北大教職員学生にこれらの事項を遵守するよう伝えられていた。
ところで、本件低温室の室温が上昇し零度を越えると、氷試料が変質、融解し、また、天井配管に付着している霜が融解し、多量の水滴となって滴下し、機器に悪影響を及ぼすことになりかねない。そこで、第一講座としては、室温の管理を行い、もし室温が上昇した場合は、氷試料を超強力エックス線回折室内の低温室に移動するとともに、機器をビニールシートやビニール袋で覆うといった措置を取っていた。
2 第一講座において、液化窒素は、①エックス線装置試料台に装着した氷試料の冷却用、②氷結晶製造装置の真空ポンプのコールドトラップ用、③本件低温室外における試料温度の制御用などの用途に供されており、いずれも本件低温室外で使用されていた。右各用途のための必要量は、G棟から二〇〇メートルほど離れた北大工学部原子工学科の液化窒素供給所から、受け出し量等を記録の上、二五リットルデュワー瓶で受け出されていた。なお、右デュワー瓶を用いて実際に充填することのできる液化窒素の量は二〇リットル程度である。
また、液化窒素を受け出す際には、必ず窓を開け、換気扇を作動させることとなっていた。
三 本件事故発生の経緯
前記第二の二3ないし5の事実に、証拠(甲四、一九、四六、乙一、一〇、一一、一二の三、一三、二〇、二一、証人A及び証人池田)によると以下の事実が認められる。
1 北大においては、例年、定期点検及び水槽清掃などの目的又は工事のために、井水の断水及び停電措置が予告の上行われている。平成四年度の井水の断水については、同年八月二日(日曜日)と同月八日(土曜日)から九日(日曜日)の二回、停電については、同月二日及び同月九日の二回行われた。これらの断水・停電対策はマニュアル化されており、井水が断水するのみで停電を伴わない場合には、冷凍機の運転が継続できるため、あらかじめ冷却水系統をクーリングタワー水系統から市水道水系統に切り換えることで対処し、また、停電の場合には、停電予定時の半日前ころから、本件低温室の設定温度をより低温に変更し、十分に冷却しておくことで、室温上昇に対処していた。
第一講座では、G一五二室の管理については、Bの職務とされていたので、八月八日から九日にかけての断水及び八月九日の停電に対しては、Bが責任者として対処することとなった。Bは、これらの措置に備えるため、八月七日に本件低温室の設定温度の変更及び冷却水の切り換え(井水利用のクーリングタワー水から市水道水への切り換え)の作業を行い、一郎と当時北大工学研究科応用物理学専攻修士課程一年であった池田哲哉(以下「池田」という。)がそれを見学していた。
この際、Bによる市水道水のバルブの開度が不十分であったため、冷凍機の冷却水がほとんど循環しないという状態になった。
2 八月八日午前九時に井水は断水したが、右のとおり、冷凍機の冷却水の循環が不十分であったため、午前一〇時三〇分ころ、冷凍機の過熱による可溶栓が開放し、冷媒のフレオンガスが流失して冷凍機が停止し、過熱による危険は防止されたが、このとき以降、本件低温室の温度は上昇を始めることになった。午前一〇時すぎころ登学した池田は、G一五二室内の冷凍機がシューシューと音を立てているのに気づき、G一〇一室にいた一郎に直ちに連絡し、一郎が冷凍機械室の扉を開けた。このとき、フレオンガスが漏出して冷凍機は停止しており、通常なら聞こえるはずのドレインへの冷却水の排水音が聞こえなかった。これらの状況は、Bの自宅に直ちに電話連絡された。
同日午前一一時ころ、Bが田尻機械工業株式会社(以下「田尻機械」という。)へ電話をし、修理を依頼し、午前一一時三〇分ころ、Bから修理依頼を受けた田中雅人(以下「田中」という。)が、補充用のフレオンガスを持って到着した。現場では、当初、一郎、池田及び大学院学生の内田努の三名が田中に対応していたが、その後、登学してきたBが対応した。冷凍機の状態は、可溶栓が溶けており、そこからフレオンガスがすべて漏出しており、田中は、更に多量のフレオンガスを手配する必要性があることから、同日中の修理は困難であると判断し、一〇日(月曜日)に修理することを告げ、冷凍機のスイッチを切って午後零時ころ北大を出た。なお、冷凍機が故障したことについては、A教授には一切連絡されなかった。
3 本件低温室の室温は、八月八日午前一〇時三〇分ころから、本室、準備室ともに上昇し始め、翌九日午前八時の停電開始時には本室につきマイナス約一三度、準備室につきマイナス約四度となり、停電終了時の同日午後四時一五分には、それぞれマイナス約一一度及びマイナス約二度に上昇し、さらには事故当時の一〇日午前九時ころには、それぞれマイナス約六度及びプラス約一度までに上昇していた。右過程の中で、八月八日午後零時二〇分ころ、準備室の温度が約一度低下している。右は、Bにおいて、本室内に保管されていた一八リットルデュワー瓶の液化窒素の残量数リットルを準備室に流下させたことによるものと推認される。
4(一) 八月一〇日午前八時二〇分から四〇分までの間、Bは、二五リットルデュワー瓶二本を用いて、北大工学部原子工学科液化窒素供給所から、四〇リットルの液化窒素を受け出した。同日午前九時ころには、準備室の温度が約二度低下しており、Bは、その少し前に、右液化窒素を右準備室床に流下させたものと推認される。
また、Bは、午前八時三〇分ころ、田尻機械に電話をかけ、その社員に対し、「温度が上がると困るのでできるだけ早く来てほしい。」旨依頼した。午前九時ころには、本室の室温はマイナス約六度、準備室の室温は、プラス約一度にまでに上昇していた。また、そのころ、Bは一郎に電話をかけ、一郎は北大に向かった。
(二) 午前九時ころ、田尻機械の従業員柴田明夫(以下「柴田」という。)が、G棟西側入口に到着し、フレオンガスのボンベ三本、工具及び真空ポンプを運搬用カートに乗せてG一五二室に向かい、同室の西側入口前あたりから、Bが手伝って、運搬用カートをG一五二室に搬入した。柴田は、真空ポンプのための電源コンセントの提供を受けて機械室で作業を開始し、Bはその場を離れた。
(三) 午前九時一五分から二五分までの間、Bは、一郎とともに、二五リットルのデュワー瓶二本を用いて、前記液化窒素供給所から四〇リットルの液化窒素を受け出した。
(四) 午前九時三〇分ころ、柴田は、G一五二室の温度記録計の前でBに会い、「どのくらいかかりますか。」と聞かれ、「三〇分から一時間くらいかかりますよ。」と答えた。
(五) その後、Bは、一郎とともに準備室内において、前記(三)で受け出した液化窒素を流化させた。事故後の準備室内に置かれていた二本の二五リットル入デュワー瓶中の液化窒素の残量は合計約三リットルであった。
(六) 午前一〇時ころ、柴田が真空引きを終了し、フレオンガスをボンベから冷凍機に注入し、午前一〇時一五分ないし二〇分ころ、冷凍機の運転を開始し、フレオンガスを徐々に注入した。
そして、本件低温室の室温は、午前一〇時三〇分ころ上昇が止まり、午前一一時ころから低下し始めた。
(七) 午前一〇時過ぎころ、池田が登学し、本件低温室外にある温度記録計で、準備室の温度が零度を越えているのに気付き、行き先表示板から、Bが既に登学しており、G一〇一室に在室していると判断し、同人を捜したところ、同人はG一〇一室、G一五二室及び高エネルギー超強力エックス線回折室のいずれにも見当たらず、A二〇一室で、大学院学生藤田秀二や、田畑二郎に会ったが、B及び一郎の所在はわからなかった。
(八) 午前一一時ころ、池田が準備室の扉を開けたところ、右準備室入り口扉付近の机の下に頭を入れるような姿勢でうつ伏せになって倒れているBと、同室中央部付近で防寒着を着て尻餅をつくような姿勢で机に寄りかかりうずくまっている一郎を発見した。その際、二五リットルデュワー瓶二本、五リットルデュワー瓶一本が床上に置かれていたが、いずれもキャップは外れていた。
池田は、G一〇一室の電話でA二〇一号室の前記藤田及び田畑に直ちに連絡し、両人の到着までの数分間、準備室の扉を開けた状態にしていた(準備室の扉は押さえていなければ自然に閉じるようになっていた。)。両人の到着後、直ちに、池田と田畑がB及び一郎を運び出し、藤田と田畑が心臓マッサージや人工呼吸などの応急処置を施し、池田が一一九番通報した。
B及び一郎は、救急車で北大医学部付属病院に運ばれたが、両名は瞳孔散大、低体温状態、心肺停止状態にあり、右病院で直ちに気管内挿管、蘇生薬の投与、人工呼吸及び閉胸式心マッサージ等の蘇生術を施したが、午後零時三〇分、蘇生の可能性が全くないと判断され、両名の死亡が確認された。両名の直接の死因は、低酸素血症と判断された。
(九) 午後零時二〇分ころに消防救工隊が計測した本件低温室の酸素濃度は、準備室は二〇パーセント、本室が一七パーセントで、正常値(20.8パーセント)に比べて低下が認められた。なお、前記のとおり、準備室の扉は押さえていなければ自然に閉じるようになっているが、発見者が他の学生に連絡し、学生らが到着するまで準備室の扉を開けた状態に保持して待っていたものであり、その後も準備室は救出作業及び検証のためしばしば開放状態にあったので、酸素濃度がほぼ正常値近くまで回復していたと考えられる。
(一〇) 本件事故の事実経過を調査し、事故原因を解明して類似の事故の再発防止のために北大工学部教授会に設置された事故調査委員会(学部内から評議員一名、関連専門領域の教官五名、学部外から理学部教授一名、低温科学研究所教授一名から構成される)は、本件低温室の自然換気量の測定実験、デュワー瓶中の液化窒素の自然気化量の測定実験、準備室内での液化窒素の急速気化実験等から、本件事故は、「冷凍機の故障により低温室の室温が上昇し、準備室の温度が0℃を越えるに至ったため、これを冷凍機の修理完了までの1〜2時間にわたり0℃以下にとどめることを目的として、同室内において多量の液化窒素を急速に気化させたことにより、空気中の酸素濃度の低下を生じ、両名はこれを吸引して低酸素血症に陥り、死亡したものと判断する。」と結論づけている。
二 被告の責任について
以上認定の事実によれば、B及び一郎の死因である低酸素血症は、密室内で液体窒素を流下させてこれを急激に気化させたことにより空気中の酸素濃度の低下が生じ、これを吸引したことによって発生したものと認められる。そして、本件低温室を含むG一五二室を事実上管理していたBは、冷凍機が故障したことから、修理会社にその修理方を手配するとともに、自宅にいた一郎を呼び出し、その前後から本件低温室の温度を低下させるため液化窒素の流下作業を行い、その後に到着した一郎とともにさらにデュワー瓶二本の液化窒素を受け出して、これを流下する作業を行っているのであり、また、A教授に右冷凍機の故障について連絡していないのであるから、右の流下作業はBの発案によって行われたものと認めるのが相当である。ところで、右の流下作業は、本件低温室の機能維持のため温度を低下させるために行われたものであり、公務の執行に該当するところ、液化窒素が、右のように室温を下げるために利用されることは本来予定されていないこと(A教授は、液化窒素を用いて室温そのものを低下させることの効果は疑問である旨証言している。)、第一講座においても、液化窒素がそのように利用されたことがなかったこと、多量の液化窒素を開放されていない狭い室内で流下させれば、その気化により室内の酸素濃度が低下し、そこにいる人間の生命及び身体の危険が生じ得るところ、本件事故当日、Bは、窓も換気扇もなく容積約一七立方メートルの準備室内に、既に四〇リットルほどの液化窒素を流化させていたことからすれば、Bは、さらに、液化窒素を流下させれば準備室内の酸素濃度が低下し、右室内で作業するB及び一郎の生命及び身体に危険が生じるおそれがあることを予見し得たものと認められ、そのような結果を回避するために、液化窒素の流下を中止すべき義務を負っていたというべきである。しかるに、Bは、一郎を呼び出して準備室内での液化窒素を流下させる作業を手伝わせ、一郎をして低酸素血症により死亡するに至らしめたものであるから、Bには本件事故発生につき過失が存すると認められる。
そうすると、被告は、原告らに対して、Bの過失によって発生した本件事故につき、国家賠償法一条一項に基づき後記損害を賠償すべき義務があるといわざるを得ない。
三 原告らの損害について
1 一郎の逸失利益について
原告らは、一郎が北大大学院卒業後、国立大学教育職ないし研究職に採用されたであろうことは確実であったとして、逸失利益の算定基準に、国家公務員教育職俸給表(一)又は国家公務員研究職俸給表を用いるべきことを主張するが、証拠(乙三三、三九、四〇及び弁論の全趣旨)によれば、一郎自身は優秀な学生であったことは窺われるものの、一郎等の北大大学院工学研究科応用物理学専攻の学生が、博士課程修了後、そのまま国立大学又は国公立の機関において教育職ないし研究職に就くことについて蓋然性が高いとまでは認め難いといわざるを得ないから、本件においては、平成六年度賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・男子労働者旧大・新大卒の平均年収額である六七四万〇八〇〇円を基礎とし、生活費の控除割合を五〇パーセント、一郎は、満二四歳から満六七歳までの四三年間稼働が可能であったとして、ライプニッツ方式(係数17.5459)により中間利益を控除する方法によって一郎の逸失利益を算出するのが相当であり、これによれば、一郎の逸失利益は次の計算式のとおり、五九一三万六七〇一円となる(因みに、右金額は、一郎が二七歳から稼働し始め、六〇歳(定年時)まで原告主張の研究職(年収七六六万六四五一円)に就き、以後、六七歳まで稼働し、その間、右大学卒の平均年収(六七四万〇八〇〇円)を得たものとし、生活費控除の割合を五〇パーセント、中間利息控除につきそれぞれに対応するライプニッツ係数を用いて、一郎の逸失利益を試算した金額を上回る。)。
674万0800円×0.5×17.5459=5913万6701円
2 相続
原告らは、一郎の両親であり、法定相続人として、一郎の損害賠償請求権につき法定相続分である二分の一ずつ相続した。
3 原告らの慰謝料について
原告らは、一郎の両親であるところ、本件の諸事情(後記過失相殺の事情を除く)に鑑みると、一郎の死亡により原告らが受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、それぞれ九〇〇万円とするのが相当である。
4 葬儀費用について
原告らは、平成四年八月一二日の密葬代等及び同年八月一七日の本葬代等として、二〇八万一二三一円を支払ったことが認められるが(甲五及び一七)、このうち、一郎の死亡時の年齢、独身であったこと等諸事情に照らすと、本件事故による葬儀関係費用は一三〇万円とするのが相当である。
5 諸雑費について
原告ら主張の諸雑費については、その内容、出費の事実を明らかにする具体的な主張がないので、これを原告らの損害と認めることはできない。
四 過失相殺について
前記二で認定した諸事実及び証拠(乙三九及び弁論の全趣旨)によれば、一郎は、第一講座に所属した際、本件低温室の使用に関する注意を受けており、その中には、氷床コア等の氷試料と同時に送られてくるドライアイス(ガスの発生により酸素欠乏を起こすおそれがある。)を本件低温室に持ち込まないことという注意が含まれていること、第一講座において、液化窒素の使用は本件低温室外での実験に限られていたこと、一郎は富山大学においても、卒業論文作成及び修士論文作成のために低温室を頻繁に使用しており、右低温室においても酸素欠乏を防止するためドライアイスの持ち込みが禁止されていたこと(乙三九)、一郎は右大学において、氷球試料作成等のために液化窒素を使用しており、液化窒素の特性についても知識があったことが認められること、また、液化窒素の特性に関する基礎的知識において、大学院の応用物理学専攻博士後期課程にあった一郎とBとの間で、その程度に差があったとは認め難いことなどから、一郎もまた密室内で大量の液化窒素を気化させることによって生じる空気中の酸素濃度の低下による危険を予見し得たものと推認されるのであって、本件事故発生については一郎にも回避可能性がなかったとは言い難い。しかしながら、本件における液化窒素の流下作業は、助手であるBの主導のもとに行われたものと推認されること、また、Bは一人で右流下の直前にも約四〇リットルの液化窒素を流下していたこと等の事情を勘案すると、本件事故発生についての一郎の過失割合は二割とみるのが相当である。そうすると、過失相殺をした後の原告ら各自の損害額は、三一三七万四六八〇円となる。
五 損益相殺及び弁護士費用について
原告らは、北大教授会から弔慰金名下に一〇〇〇万円を受領しており、これを損益相殺した上で本件訴訟を提起していることから、原告ら各自の損害額は、二六三七万四六八〇円となる。
また、本件訴訟の難易、経緯、認容額等を斟酌すると本件訴訟の弁護士費用としては原告ら各自一五〇万円が相当である。
第四 結論
以上によれば、原告ら各自の請求は、被告に対し、それぞれ、二七八七万四六八〇円及びこれに対する本件事故の発生日である平成四年八月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宗宮英俊 裁判官石橋俊一 裁判官山﨑栄一郎)
別紙<省略>